2017年03月11日

2月読書会 2

2月は定例読書会とは別に友人宅でも読書会を行いました。

今回は「シルバーバーチの新たなる啓示」の5章「愛は死を超えて」から学びました。

以下、抜粋と感想です。



 人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。一人一人が霊的に異なった発達段階にありますから、同じ問題を必ずしも同じようには見ていません。それは致し方のないことです。幸いにして自分の方が進化の階梯の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。いかに高い位置に到達したとしても、それよりさらに高い位置にいる人がいることを忘れてはいけません。    152ページ13行~153ページ3行


 地上世界では霊的に異なる段階にいる人々が共に生きています。なので同じ視点、同じ問題意識をもって物事に取り組むことは難しいのを感じます。職場でも、ついつい自分の視点で問題提起をしてしまい、理解を得られないどころか反発を招くことが有ります。
 シルバーバーチの述べるように、真理を知った人間として同情・寛容と、理解のある態度で人に接することが必要だと改めて思わされました。様々な経験を積み霊的に成長した人がまだ十分な成長に至らずに苦しむ人の気持ちは理解できますが、苦しみの渦中にある人が困難を乗り越えた人のような心境にはなれないのと同じだと思いました。
 自分もまだまだ未熟ですが、それでも霊的真理を知り、人間の本質について真理を知らない一般の人よりははるかに深い人間への理解を持得ていると思います。なので、いつも真理を忘れないよう、霊的視点で物事を見つめ人々に接することが出来るように努力を重ねたいと思いました。



───霊界から地上へ誕生するに際しては、地上で果たさねばならない仕事をあらかじめ見せられるのでしょうか。

 「一般的にはそうです。その人の霊的発達程度に応じて、どういうことをするのか選択が許されます。見せられるといっても、細かい点までいちいち見せられるわけではありません。地上でも、たとえば溺れて危うく死にかかった人が、その危機一髪の瞬間に、それまでの過去の生活の全部見た、という体験をすることがありますが、事実そういうことはあり得ることでして、地上への誕生前に地上生活をあらかじめ見せられるのも、そういう形でのことです。そういう生活がその人の次の進化の階梯にとって必要であるとの認識のもとに選択するのです。霊的に進化した人ほど困難な仕事を選ぶものです
 それは当然ではないでしょうか。高度な叡智を身につけた人が安楽な仕事を選ぶはずはありません。偉大な人物が苦難の人生を送るのは、その辺に理由があります。それはその人が覚悟していた挑戦です。それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです」

 ───それは自分で選ぶのですか、それとも授けられるのですか。

 「どちらの場合もあります。こういうことが出来るという可能性と、これだけのことはしなくてはならないという責務とが指摘されます。それは、ある一定のレベルの発達段階に達した人の場合です。その場合でも選択の自由は許されます。もっとも、選択の余地が与えられない場合もあります。どうしてもそうならざるを得ないカルマが廻ってきた場合です」      159ページ13行~161ページ5行

この内容は、全ての人間が明確な霊的目的をもって地上人生を送っていることを示していると思います。(多くの人はその事をしっかりと理解認識できていませんが・・・)それぞれの霊的発達段階に合わせて必要な経験を通しての霊的成長の機会と霊的貢献の役割を与えられているのだと思いますし、苦しみを通して霊的成長の足かせになっているカルマ(霊的負債)を返済することも大きな目的です。
シルバーバーチの説く霊的真理は人生の意味、地上世界の存在意味、死後の魂の存在、神の本当の姿などを解りやすく明確に示してくれました。
シルバーバーチは知識には責任が伴うと何度も述べていますが、そうだと思います。人間の本質が霊であるからこそ日々をどう過ごせばよいのか、善悪の基準とはどこにあるのかなどの答えに対してもより高い判断基準と価値観を与えられていると思います。
私自身は、多くの弱さ未熟さは自覚しますが、与えられた霊的知識と地上世界での知識、環境などを考えると一定の霊的役割を与えられているのだと考えています。自身の弱さと向き合い、日常の生活を霊的真理に合わせる努力を続けながら役割を果たせるよう努めたいと思います。



───もしも本当に死後の世界があり、そして創造主が愛の神であるならば、他界した愛する者たちが五感で確認できる形で戻ってきて、私たちに死後存続の事実を確信させてくれるようになってもいいはずが、現実はそうなっていないのはなぜでしょうか。

 「いいえ、ちゃんとそうなっているのです。ただ、そのためには条件が必要なのです。今夜のゲストのご夫妻も私との対話をするために来ておられますが、なぜここまで来られたかと言えば、ここにはこのモーリス・バーバネルと言う霊媒がいて、私がその発声器官を使用出来るからです。お二人の自宅では私との対話は出来ません。この霊媒がいないからです。このように、地上界と霊界との交信には、それを可能にする条件というものがあるのです。
 投書をされた女性が私に質問するには、その質問を手紙という形で書いて輸送し、それがこの場で読み上げられると言う過程を経なければなりませんでした。その質問に私がこの霊媒を通して答え、その答えが記録されてご質問者のもとへ輸送される───地上での交信にもこれだけの過程が必要です。地上界と霊界との交信にはさらに次元の異なる条件が必要なのです。
 電話で話すという、地上の人間どうしの交信の手段が確立されるようになるまでの歴史をたどって見られるとよろしい。それはそれは大変でした。それを見ても、次元の異なる地上界と霊界との間の交信が簡単にはいかないことが想像できるでしょう。それなりの必要条件と言うものが満たされないことには、交信できないのです。他界した愛する人が何も通信して来ないからといって、それを大霊に非があるかに思われてはいけません。それなりの手段を講じないといけないのです」   164ページ11行~166ページ5行


 この内容は霊界と地上世界の交信を可能にする物的条件と霊的条件について解りやすく述べていると思います。目に見える条件が整う様子はシルバーバーチが述べる内容からも容易に想像できますが、その条件が整うまでの地上界と霊界の交信には次元の異なる条件が必要と述べています。
 霊界の高級霊は地上世界に霊的真理を降ろす条件を整えるため人間には測り知れない霊的知識と霊的パワー、霊的技術を全て活用し最大限の努力のもとに働きかけています。しかし、その間に地上人類の霊的無知という障壁があり、そのために生み出される利己主義、拝金主義、物質主義による多くの悲劇と混乱があるのだと思います。
目に見える条件も大切ですが、日々の生活で高級霊の意識に感応できるように努力をしたうえでないとその判断は間違ったものになりがちではないかと私自身の経験から思います。(でもその時はそれでも精一杯していたと思うのでそれで良かったと思いますし、こうしてブログにも書けることからも学びにもなったと思います。)
霊的実践の中で、心静かに瞑想し祈りの時を持つことはやはり大切なことだと思います。しかし、私はこの二つはとても苦手です。瞑想?は表面上形になっても、よほどでない限り日常では祈りをすることがありません。私個人の印象ですが、瞑想や日常生活を通してとても高い心境に至らないと良い祈りが出来ないと感じるからです。瞑想を通して少し高い心境になれた時?に「より良い祈りと瞑想が出来るようになりますように、それによって人々への貢献が出来るようになりますように」と祈るくらいです・・・・毎日夜の10時から福岡サークルの皆様に合わせて静かに霊的意識をもつ時間を持っています。先輩方が努力している中に参加させていただき少しづつ霊的な行いというものを学んでいるところです。まだまだ霊的な行いについて学びと実践を始めたばかりですが、これからも続けて学んでいきたいと思います。

suguru.hirakawa


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「地道に努力」これに尽きると思います。近道はないし、努力のないところに成長もないことを念頭に日々生活していきたいと思います。   30代 男性




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Posted by s.hirakawa at 16:30 │読書会