2014年10月03日

愛さえあれば

ニュースで児童が巻き込まれたり逆に児童が起こす悲しい事件が多いですが、考えたことを書いてみたいと思います。

全ての人間は霊的成長の為に地上に生まれてきます。しかし、まだまだ霊的成熟度の低い私たち人類は、肉体を携えた時から本来の目的を見失い、物的世界で起こる出来事に時には振り回され、判断を間違うことになります。だからこそ地上に広く霊的真理を広めることが何よりも大切だと改めて思わされます。

霊的成長とは何かを考えると知識的なものもそうですが、自身が持つ愛を大きく育てることもとても大切な要素だと考えます。自分は独身で子供はいませんが甥や姪を始め、時折ボランティアなどで子供たちと接する中でその素直さ素晴らしさを感じることが出来るようになりました。

友人主催の味噌造り体験会を手伝ったときに、子供と親御さんの関係が子供たちの様子から伝わることがありました。お味噌を容器に詰める時に手首を利かせて投げ入れるのですが、お味噌に怒りのパワー(笑)を込めて投げ入れる子がいたのです。

自分が一緒に作業をしている子供は5-6人でしたが、ひいきにならないようにしながらもその子に直接名前を聞き愛情を込めて名前を呼びながら、周りの子にも声をかけながら作業をしました。また、小さな女の子は間に他の子供がいながらもその背中越しに手を伸ばして、味噌を投げ入れる容器を差し出して欲しいと訴えてきます。

怒りの表現をすること、手を差し出してかまってほしいと訴えること表現は様々ですが子供たちは皆、愛情が欲しいのだと思います。子供たちは周りの大人から沢山の愛を与えられることを何よりも望んでいるのだと、沢山のお金やオモチャよりも抱きしめられたり、褒められたり、時には叱られたりと何よりも何よりも愛が欲しいのだと思います。

物やお金は愛には変えられませんし、いくらそれらを与えてもそこに愛がなければその子供の霊性を育むことにはつながらないばかりかマイナスにしかならないのです。

少しそれますが、友人の知り合いで経済的に非常に貧しい母子家庭の方がいます。その人は、健康保険の保険料も支払うことが出来ないほど厳しいのですが、一人息子さんとの二人暮らしで息子さんは小学生のころから不登校気味だったそうです。お母さんは生活の為に働かなければなりませんが、貧しくても子供との時間を大切にすることを選んで多数の派遣業者に登録し、子供を優先した都合の良い時間帯の仕事先を選んで働いていたそうです。また御母さんは息子さんに対して絶対の信頼を持つと決めていたそうで、不登校気味の息子さんに『これを使って自分で勉強してごらん』とパソコンを与えたそうです。

現在社会の大きな問題としてネット依存が挙げられますがそれは霊的成長の上でも大きな弊害を及ぼすと思います。また、ネットの世界には欲望や煩悩を刺激するものが多く、思春期に児童をその世界に放り込むことはとても大きなリスクを伴うと思います。それにも拘わらず御母さんは、絶対の信頼のもとにパソコンを与えたそうです。今は県内にある通信制か定時制だったと思いますが、自分で見つけ通っているそうです。その息子さんは現在10代後半ですが先日、地域おこしのあるイベントで親子ともども手伝いをしていたそうで、友人の話では会場の手伝いをし小さな子供たちの面倒を良く見る素晴らしい青年だったのがとても印象深くそれをきっかけに御母さんとお知り合いになったそうです。

絶対の信頼と愛情がその子の心を大きく満たして霊性を育んだのだと思います。この親子は現在でも変わらず経済的にはとても貧しいが、自身でしっかり健康管理をし親子ともはつらつと過ごされているそうです。

今の日本を含めた先進諸国は物的にはとても恵まれていますが、肉体を携える霊的存在の人間にとって一番大切な愛が枯渇していること、そして本当の愛とは何かということが解らないこと、愛が物質とお金だと思っていること、愛が物質やお金よりも何よりも大切で人間が生きていくうえで欠かしてはならないもの、ということを知らないことが児童が巻き込まれる事件や児童が起こす事件の根底にある問題だと思います。真理以前に、それだけ世界に愛が枯渇しているということだと思います。

これからも真理の学びと生活を通しての実践努力、読書会を通して霊的成長と真理普及の努力を続けていくのは勿論ですが、自分自身の愛をもっと大きく広げ、たとえ真理を伝えることが出来なくても大人も子供も出会う全ての人の霊的に成長したいという本能を後押しできるよう、自身の人生を真理の愛と種をまくものとしていきます。それがこのような悲しい出来事を減らし、世に真理が普及していく地ならしへとつながると思うからこそです。



* 本当の愛と書きましたが、究極の愛の形は神様の表現している愛だと思います。その形は未熟な私たち地上人には理解できないものですが、霊的成長によって愛の表現の形は変化し神の愛に近づくことで、より素晴らしいものになるのだと思います。

追伸
4月には日本スピリチュアルヒーラーグループの公開ヒーリングに参加する機会を与えてもらいました。愛と奉仕への喜びに溢れた素晴らしいひと時を過ごすことが出来ました。霊界の導きに心から感謝の思いで一杯です。
でも、その後も変わらず自身の未熟さを思い知らされることばかりが記憶に残りますが、葛藤無くして霊的成長はあり得ないので失敗も未熟さも糧として霊的成長の道を歩んでいきます。しかし、自分の未熟さや醜さを思い知らされるのはつらいものです 笑





Posted by s.hirakawa at 23:23 │時事問題から考えること